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ハワイ(5日目) その1・・・保坂、黒沢

 ハワイ5日目・・・保坂雅寿
オアフ島に移動して2日目。この日は終日フリーの日です。私は勿論ゴルフ、4日連続です。思う存分楽しまないと!朝食を済ませ8時に14名で送迎バスにて出発しました。コースまでは1時間ほどで到着しました。コースはホアカレイCC,以前に来た時がありますが、バンカーや池、クリークが有り、ここも難易度が高いコースです。天気は最高で腕はピリピリする位暑かったです。サングラスも登場させました。ここのコースの池は天候により水の色が青から緑になりとても綺麗です。お魚もたくさん泳いでいましたよ。カートにはビールにホットドック、コースの中でプレーし飲んで食べてこれが日本と違う点です。ホットドックはパリッとした食感で、とても美味しかったですよ。いやー気持ちいい!スコアがどうとかでなく、楽しむというのが実感できる瞬間ですよね!存分にプレーを楽しみました。4日間で5.5ラウンド。夕食はアラモアナで6名でロブスターを頂き、花火を見てお開きになりました。明日はもう帰る日だと思うとあっという間の時間でした。
それから山室先生ともあとで話をしましたが、have a nice day!(良い一日を) と現地の人は声をかけてくれます。これっていいですよね!自然と笑顔が出てきて。それを日本語で何かないかな・・・と。

ハワイ5日目・・・黒沢知恵子
2月11日は、終日自由行動。添乗員の林さん、保坂先生、私は、参加者12人と一緒に、プライベートコース、「ホアカレイCC」へ。ビックリするほどバンカーが多く、入らなかったらコースからご褒美が出るコース。クリークは、青空に反映して美しいブルー、樹木を反映してグリーンと様々な色に変化、プレーヤーを、楽しませ、又悩ませてくれます。
私、一緒に廻った鈴木さんご夫妻、星野さんもご多分に漏れず、設計者の意図通り、コースを十分楽しませて頂き、又挑戦して見たくなるコースです。鈴木さんご夫妻バンカーから、実に上手に脱出、何度もワンピンに付けていました。それを見ていた星野さん「私バンカーに入るとパニック状態になりいつも脱出できないの。これさえ習得出来たら私のゴルフ変わるかも」と言っていましたが、コツが分かり、「きっと、もうバンカー大丈夫です!」今日も1日中晴天で皆さん(男性)日焼けで真っ黒でした。
今日は1日中、自由行動、林さんに予約を入れて頂いたレストランで晩餐会です。横浜の鈴木さん夫妻と私の昔からの友人、佐藤さんご夫妻と楽しみました。佐藤さん夫妻と鈴木節子さんは7年ほど前マスターズトーナメント観戦でご一緒だったという偶然!!どこか繋がっているのですね。ゴルフ好きなご夫妻、話はドンドン盛り上がり、お互い好きなワインで盛り上がり、食事も美味しく盛り上がり、最後のデザートまで完食、次のトラベルでは是非一緒に廻りましょう!!と約束までして終了となりました。

ゴルフ名言集

私は、アフリカで30ヤードの距離から野生の象を撃った。象は、私の足元に来るまで倒れなかった。しかし、私は、恐くなかった。しかし、私は4フィートのパットが死ぬほど恐い。

(サム・スニード  プロゴルファー)

ウィキペディアより
サム・スニード(Sam Snead, 1912年5月27日 – 2002年5月23日)は、アメリカ合衆国・バージニア州アシュウッド出身のプロゴルファー。本名は Samuel Jackson Snead (サミュエル・ジャクソン・スニード)という。同じ1912年生まれのベン・ホーガン、バイロン・ネルソンと並ぶ偉大なゴルファーであり、1950年に年間11勝をあげるなど、プロゴルフの歴史に残る数々の記録を残した人である。身長180cm、体重86kg。「サイドサドルスタイル」と呼ばれる、パターを正面に構えボールを押し出すように打つ独特のパッティングフォームが特徴。
PGAツアー通算82勝。メジャー大会ではマスターズ3勝・全英オープン1勝・全米プロゴルフ3勝を挙げ、通算7勝を獲得したが、全米オープンだけは4度の2位で止まり、「キャリア・グランドスラム」は達成できなかった。 しかし、ツアーのあらゆるタイトルを総なめにしたその偉業から「スラマー」と呼ばれる。
1974年に世界ゴルフ殿堂が創設され、スニードは直ちに殿堂入りを果たす。シニアツアーでも長い競技経歴を築いた彼は、最晩年まで元気な姿を見せ、2002年のマスターズでも始球式を務めた。しかし脳梗塞の病状が悪化し、2002年5月23日に89歳で死去。90歳の誕生日を4日後に控えた死だった。